それから数日後の昼休みのことだった。
天尾卓次はクラスで
弁当を食べたあと、昼休みの大部分を新聞部の部室で過ごす。これは天尾に限らず岡江も糸山も同じだった。実権を二年生に譲った後も、三人とも大きな顔をして部室の窓際の一番眺めの良い場所を占領していた。
天尾卓次がぼんやりと窓の外を眺めていると、いつものように糸山がやってきた。
「どうした、なんか元気ないやないか」
「うむ、なんか憂鬱なんよ」
天尾は物憂げに答えた。ニヒリストを気取るのは天尾の得意技だったが、やはり春なのか、あるいは先日の伊沢らの様子に当てられたのか、その言葉には実感がこもっていた。
「まただれかに惚れたのか?」
糸山は三年間の付き合いで天尾の性格を熟知していた。こういう態度の天尾卓次を何度見てきたことか。
一年の終わり頃、鈴江京子という同級生に惚れて強引に新聞部に入れたこともあった。しかし天尾は好きな
女の子の前では気取りすぎてぎこちなくなり、かえって態度が厳しくなる傾向がある。それが反発を買って鈴江は一カ月で退部届を出してしまった。
まだある。二年のはじめ頃、
就職クラスの日下由利子にひとめぼれして、ことあるごとに
写真班の五木俊之に日下の写真を撮るように命じた。五木はこのためすっかりむくれて部室に来なくなった。概して天尾が女の子を好きになると、権力を傘にきて公私の区別がなかった。しかも大抵は天尾の一人芝居に終わり、あとで慰めるのは糸山の仕事だった。
「こんどは誰や?」
「二年のとき同じクラスやった柴田通子とね、昨日の帰りに同じバスに乗ったんよ」
糸山は柴田通子を知らなかった。しかしクラスが四組と聞いてあっと思った。隣のクラスではないか。しかし天尾の言うような素晴らしい
美人には心当たりがなかった。そう言うと、天尾はさらに詳しく解説をした。
「きみは好みが片寄っているからな。まあ美人と言っても顔立ちはどちらか言えばおとなしいほうだ。背は高い」
好みが片寄っていると言われてむっとしたが、なんとなくあいつだなと見当がついた。確かに糸山の好みとは違っていた。
「その柴田と阪急六甲でぱったり会ってな。それまで意識したこともなかったんやが、話題が志望大学になった」
柴田通子は天尾に、どこの大学を受けるのかと尋ねた。それに対して天尾は、自分の成績はまったく度外視して、純粋に希望だけ答えた。
「僕は(国立)神戸大学。きみは?」
問い返された柴田は、寂しい笑いを口の端に浮かべた。
「わたし、家の事情で大学は行かないの。就職するの」
その言葉に天尾ははっとした。二年の時、何かの折りに
進学の情報交換をしたことがあった。その時柴田通子は、自分は絶対大学に行きたい、大学に行って
文学を
勉強したい、と熱っぽく語っていたではないか。家の事情で行かないとはどういうことか。
天尾はその時初めて思い当たったことがあった。それは二年の終わり頃、授業中に柴田が職員室に呼ばれ、そのままあわただしく帰ったことがあった。後で柴田の父親が病気で倒れた、と聞いたような気がする。それが柴田の進学断念と関係があるとしたら、どこにでもありそうな話だが、当事者の柴田にしてみれば紛れもない現実なのだ。
「俺はその瞬間に、柴田通子を好きになってしもたんや」
「同情は愛情に似たり、というやつやな」
糸山が言うと、とたんに天尾は目をむいた。
「違うっ、同情なんかやないぞ」
「では何や」
「柴田のいじらしい言い方で、あいつの魅力に初めて気がついたんよ」
同じことではないかと思ったが、糸山はそれ以上何も言わなかった。天尾が一旦惚れたら醒めるまでは何を言っても無駄だということを、長い付き合いでよく分かっていた。
そこへ岡江がやって来た。妙にそわそわと落ち着かない。
「どうしたんや」
二人が尋ねると、岡江はポケットから新聞の切り抜きを大事そうに取り出した。